サイパン旅行記 vol.10

アスリート飛行場には、数多くの戦車や建物が残っていることでも有名です。

九七式中戦車。各国が採用する戦車の多くがガソリンエンジンだった時代に、空冷ディーゼルエンジンを搭載していることが大きな特徴であるこの戦車。


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キャタピラ
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ヨコハマタイヤ
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明治タイヤも。
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戦車の中から草がぼうぼうと。
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この緑色は、当時の塗装の残りだそうです。
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キャタピラがグルグル巻かれています。
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日本軍の航空魚雷。思った以上に長いと感じました。
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遠くから見ると絵になる戦車
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別の戦車。同型ですね。上部の砲塔とその右下側に機関銃。

戦車自体の厚みはなんと2.5センチ程度ということ。こんな薄い戦車の中に入って戦った人がいるのですね。当時の状況を考えるととても心が痛くなります。

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アスリート飛行場の説明が載った看板がありました。
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当時の写真を見ることが出来ます。
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サイパン空港の端っこ。バスケをしている人たちがいました。

これで1日ガッツリと観光をした旅行記が終了しました。


バンザイクリフ→スーサイドクリフ→ラストコマンドポスト→バードアイランド→グロット→パウパウビーチ→ガラパン地区(休憩)→日本刑務所跡→砂糖王公園→彩帆香取神社→タポチョ山→サンタルーディスの祠→アスリート飛行場→ガラパン地区(ギャラリア前)解散


という流れ(だったと思う)で進みましたが、観光地として有名なサイパンの戦争時代を知ることが出来、すごく考えさせられた1日となりました。「サイパンは日本資本がどんどん撤退していったことで日本人観光客がかなり減った」と聞いていましたが、日本からの直行便も年々少なくなり、韓国やグアムなどを経由して行くものも多いみたいですね。その代わり韓国や中国からサイパンというのはとても盛んなようで、私たちが滞在中も日本人よりも中国・韓国人が多く目立ちました。街の表記もグアムとは違い、中国語やハングルが多く、日本語はだいぶ少ない感じでした。日本の観光地でも数多くの戦時記録は残っていますが、サイパンのように野ざらしで放置?管理?されているものは多くないはず。恥ずかしながら、普段、戦争を強く意識する機会は少ない生活を送っていますので、息子がもう少し大きくなって、あれこれ理解できる年齢になったら戦争のことをもっと知るためにもサイパンへ再訪したいと思ったのでした。

次回、サイパンの木曜市である「ガラパン・マーケット」へ行ってきた記録を最後にサイパン旅行記を締めくくりたいと思います!ではまた!