スコールもすぐに止んで、お次はアスリート飛行場へ。サイパン国際空港のすぐ横ということで、近辺には管制塔や消防署などもありました。
このアスリート地区、戦況の悪化に脅かされていく中、日本空軍の中心地として発展していました。アメリカ軍は、サイパン制圧後に、この土地をそのまま占領し日本国内に地上爆撃を行える位置に空軍基地を転換することが目的で、激しい攻撃は避けたそうです。
サイパンの没落後、このアスリート飛行場は襲撃戦で犠牲になった将校の栄誉を称え「イスリー飛行場」という名に改名されました。また、この飛行場はB-29の飛行にも使われました。1973年頃からサイパン国際空港の建設が始まり、今に至ります。ここには、まだまだ当時の日本を象徴するビルや建物が残っています。
アスリート地区の写真はまだ続きます。お次は戦車の予定です。