サイパン旅行記 vol.09

スコールもすぐに止んで、お次はアスリート飛行場へ。サイパン国際空港のすぐ横ということで、近辺には管制塔や消防署などもありました。

このアスリート地区、戦況の悪化に脅かされていく中、日本空軍の中心地として発展していました。アメリカ軍は、サイパン制圧後に、この土地をそのまま占領し日本国内に地上爆撃を行える位置に空軍基地を転換することが目的で、激しい攻撃は避けたそうです。

サイパンの没落後、このアスリート飛行場は襲撃戦で犠牲になった将校の栄誉を称え「イスリー飛行場」という名に改名されました。また、この飛行場はB-29の飛行にも使われました。1973年頃からサイパン国際空港の建設が始まり、今に至ります。ここには、まだまだ当時の日本を象徴するビルや建物が残っています。


OLYMPUS DIGITAL CAMERA
管制塔のすぐ裏に、戦争当時の面影が残っています。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
トーチカ(防空壕)。左側の窓は機銃孔だそう。いくつかの砲撃跡がしっかりと残っていました。
P1231313
窓(機銃孔)は四角錐のような形になっていました。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
中に入る。入口は中央部にあって、反対側の様子(上写真から見て右側)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
最初のトーチカ写真の左側の機銃孔の部分。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
遠くに見える管制塔。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
ここは爆弾燃料倉庫。頑丈な扉は2枚になっており、上のレールは爆弾を運ぶレールだったそう。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
ハチの巣が多く、ぶんぶん飛び回っていました。分厚い扉。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
中にもレールがぐるっと敷かれていました。壁には弾薬の種類?ごとに
分けられていたそうで、数字が書き残されていました。
P1231363
中も蜂の巣でいっぱい。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
重い鉄の扉。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
サイパンの行政?の方たちが見学に来られていたそうです。

アスリート地区の写真はまだ続きます。お次は戦車の予定です。